8月9日、長崎の日。広島平和記念資料館会議室での長崎原爆犠牲者慰霊の会に参加しました。
イスラエル招待を巡って広島と長崎、違う対応となったわけですが、私は長崎市長が8月8日の会見で「政治的な理由で招待状を発出しないということではなく」、「あくまでも平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという思い」、「苦渋の決断だった」と述べたこと、立派でした。
それも、「イスラエルを不招待への懸念」をG7とEUが示していたのに、です。
長崎市のイスラエル不招待の理由は、イスラエルを招待した場合、それに反対する人たちによる混乱が起きる恐れがあるということになっていますが、被爆者の方々からご意見もあったというような報道も。そこをあえて「政治的な理由ではない」としたところが、私は、良かったと思います。
いっぽう、イスラエルを招待しないなら大使は送らない、としたG7とEUの国々は、パレスチナのガザ地区で起きていることを何だと思っているのか、長崎に原爆を落とした米国が式典に大使を送らないとは何事か、と感じました。
さて、毎年、楽しみにしている長崎平和宣言。
今年、とても刺さったのは、この部分
核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。
長崎平和宣言 2024年8月9日
アメリカ政治外交が専門の三牧聖子氏が7月24日の朝日新聞でこのように書いていたのを想起しました。
核の問題もそうです。米国の若い世代には、核問題も、気候危機も、ガザの虐殺も、「限られたエネルギーを、人類や生態系を生かす方向にではなく、殺す方向に使っている時代ではない」という危機感で通じている。
三牧聖子「ガザと核の危機感、Z世代に共通」 朝日新聞 2024年7月24日
長崎平和宣言は15人ほどで構成される起草委員会で議論を重ねて練り上げているそうです。30代の委員もおられるそうで、そこからこういった表現が出てくるのかもしれないなと想像しました。
広島の「長崎原爆犠牲者慰霊の会」では、今年も、被爆体験記朗読ボランティア「被爆体験を語り継ぐ 永遠の会」の方が長崎から来てくださいました。
写真は、その長崎の方が、慰霊の会参加者に下さった平和の栞です!
そして、G7記念館。壁面の照り返しが被爆アオギリに悪影響の可能性が…と報道されていた、それが資料館を出たところ、視界をさえぎって建っています。なぜここに建てる必要があるのかと以前、質疑したこともある建物。長崎市へのG7各国の対応を思うと、またモヤモヤが募りました。
夜は「慰霊の夕べコンサート」へ。本格的な演奏・歌唱の間に原爆詩の朗読が挟まれており、改めて広島、長崎で亡くなられた方々を想い、追悼しました。